美しい。美しいんだけど…
年金で食い扶持に困らない人にこれやられると、迷惑なんよ。
稼ぐ必要ないから、慈善100%で格安ペストリー提供できちゃうから 周りの「食い扶持のためにペストリー焼いてる人」から顧客を奪っちゃうんよ。 https://t.co/xPZMF2JjSJ
— Murasaki 📚論文解説お兄さん (@MurasakiScience) August 8, 2025
善意と市場のジレンマ:美しいけど、どこかモヤモヤする理由
こんにちは、なお@HAVE MARCYです。今日は、最近私の心を揺さぶったある出来事について書きたいと思います。美しくて、温かい気持ちになる一方で、どこかモヤモヤする感覚。それは、善意が誰かの悪意になる可能性についてです。
美しいけど、どこかモヤモヤする
最近、X(旧Twitter)で、ある投稿を見かけました。84歳の日本人おばあちゃんが、毎晩深夜0時から300個以上のペストリーを手作りし、朝早くにお客様のために準備しているというものです。しかも、ほとんどの商品が140円以下、つまり1ユーロにも満たない価格で販売されているそうです。彼女はこう語っています:「お金のためじゃないの、ただ人々に笑顔になってほしいだけ。」
「お金のためじゃないの、ただ人々に笑顔になってほしいだけ。」
美しいですよね。純粋な善意が溢れるこの行動に、胸が温かくなる一方で、どこかモヤモヤする感覚が拭えませんでした。なぜなら、彼女の行動が、周りの「食い扶持のためにペストリーを焼いている人」から顧客を奪ってしまう可能性があるからです。
善意が誰かの悪意になる
これは、単に個人的な感情の問題ではありません。市場の公平性や経済的なサステナビリティという観点から考えると、確かに悩ましい状況です。彼女は年金で生活に困らないため、慈善100%で格安ペストリーを提供できてしまう。だが、その結果、他のパン屋さんが苦境に立たされる可能性があるのです。
2022年のオープン大学のレポート「Sustaining small bakery businesses: Looking to the future in challenging times」によると、小さなパン屋さんはパンデミック中需要が増えたものの、ビジネスモデルが脆くて、低価格の競合には特に弱いと指摘されています。なので、彼女の行動が、意図せずして他のパン屋さんのビジネスに影響を及ぼす可能性があるのです。
しあわせの数は変わらない?
この状況を考えると、「しあわせの数は変わらない」という言葉が頭をよぎります。彼女の善意で安くペストリーを提供することで、彼女自身やそのペストリーを買う人々のしあわせが増えるかもしれませんが、他のパン屋さんのしあわせが減る可能性がある。全体としてのしあわせの数は変わらないんじゃないか、という疑問です。
2002年のハーバード・ビジネス・レビューの記事「The Competitive Advantage of Corporate Philanthropy」では、フィランソロピーはビジネス目標と戦略的に一致させるべきだと主張しています。個人レベルでも同じことが言えそうで、善意だけで行動するのではなく、市場への影響も考慮した方がいいんじゃないでしょうか。
なぜ人の心はこんなに醜くなったのか?
ulala_goさんの投稿に対するコメントで、「なぜ人の心はこんなに醜くなったのか」という声もありました。確かに、昔なら「善意でやってるんだからいいじゃない」と思えたかもしれませんが、今は経済的な公平性やサステナビリティを重視する視点が強まっています。人の心が「醜くなった」んじゃなくて、ただ複雑になっただけなのかもしれません。
結論
このモヤモヤした感覚は、きっと多くの方が共感できるのではないでしょうか。美しい善意と市場の公平性の間で揺れる心境。善意が誰かの悪意になる可能性を考えると、簡単には結論を出せません。でも、だからこそ、この議論を共有し、ともに考えていきたいと思います。
あなたはどう思いますか?このジレンマについて、賛同できる方、ぜひコメントやシェアでご意見をお聞かせください。共に、この複雑な問題を解きほぐしていきましょう。



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