画面の数字が毎日減っていく|リーマンで48%失った男が18年後に書いていること

コラム・読み物

2008年のリーマンショックで、当時の保有資産が48%減った。
正確には半分ではない。
ただ、画面を見るたびに数字が減っていくあの感覚は、四捨五入したくなる類のものだった。
あれから18年。
ずっと相場を見続けて、ようやく言語化できるようになってきたことがある。
このページは、その話と、なぜ自分がnext-fireというブログを書いているのかについて。

2008年、資産が半分溶けたあの数か月

2008年9月15日、月曜の朝。リーマン・ブラザーズが破綻したという一報を、今でもはっきり覚えている。前週末からきな臭い空気は流れていた。週明けの寄り付きで日経は崩れ、その後も戻らず、引けまで赤いまま終わった。記憶は曖昧だが、画面の数字だけは焼き付いている。

問題はその後だった。10月、11月、12月。底値を拾ったつもりが何度も剥がされ、戻したと思えばまた切り下げる。日経平均は7,000円を割った。ナンピンを繰り返すうちに、自分の口座の評価額が半年前の半分以下になっていた。

当時の自分は、テクニカル分析の本を何冊も読み、四季報を毎号舐めるように読み、それなりに準備をしているつもりだった。準備が足りないとは思っていなかった。だから余計に、何が起きているのか分からなかった。

あの数か月で何度も「もう辞めるか」と思った。実際、半年くらいは画面を開けなかった時期もある。家族にも詳しい数字は言えなかった。投資をやっている人なら、たぶんこの感覚は分かると思う。書いていて今でも胃が重くなる。

それから18年、ずっと相場を見続けてきた

リーマンの傷が完全に塞がるまでには、たぶん5年以上かかった。資産が戻るまでの時間ではなく、画面を見る時の感覚が戻るまでの時間として。

その間も、市場からは離れなかった。離れられなかった、というのが正確かもしれない。理由は色々ある。負けたまま終わりたくなかった、というのが半分。残りの半分は、自分があの時何を見落としていたのかを知りたかった、という静かな執念のようなもの。

アベノミクスがあった。チャイナショックがあった。コロナショックがあった。インバウンドのバブルもあった。半導体相場もあった。新NISAの始まりも見た。その都度、画面の前に座って、上がる銘柄と下がる銘柄を観察し続けた。何が動くと相場が動くのか、誰が買って誰が売っているのか、報道はどこまで本当でどこから演出なのか。ずっと考え続けてきた。

その積み重ねの中で、ある時期から、ぼんやりと見え始めたものがあった。

気づいたのは、見ている景色が違う、ということだった

個人投資家と機関投資家は、同じ「日本株市場」を見ているようで、たぶん全く別のものを見ている。

情報の到達速度が違う。取引コストの実質が違う。時間軸が違う。評価サイクルが違う。市場で動かせる資金規模が違う。同じ場所で殴り合っているように見えて、装備が桁違いに違う。

これに気づくのに、リーマンから10年以上かかった。早い人はもっと早く気づくと思う。自分は遅かった。ただ、気づいた瞬間、過去の負けの大半に説明がついた。技術や努力の差で負けていたわけではなく、気づかないまま機関のテリトリーに足を踏み入れて、ルールも装備も知らないまま殴り合っていただけだった。

具体的に、何がそんなに違うのか

「景色が違う」だけでは抽象論で終わる。具体的に何が違うのか、本当は10個でも書ける。ここでは効きが大きい3つに絞る。残りは後ろのシリーズで一つずつ扱っている。

① 情報の到達速度

決算が出る瞬間、機関投資家のアナリストは、開示後すぐにIR担当に直接電話して、開示文には書かれていない補足を取ることができる。フェアディスクロージャー・ルールがあるので、建前としては平等になりつつある。ただ、運用報告会・IRデイ・スモールミーティングといった、機関向けの場は今も別個に存在している、と読んでいい。

個人がIRに電話しても、決算期は折り返しの連絡すら来ないことが多い。「公平な情報開示」と書いてあっても、現場の実務では数分から数時間のラグが残る。デイトレやスイングの世界では、その数分が致命的に効く。「決算良かったから買い」と寄りで飛びつく頃には、機関側の評価はすでに次の段階に進んでいる、ことが多い。

② 時間軸のコントロール

これが、たぶん一番効いている。

機関投資家の運用は、四半期・年次の評価軸で動く。マイナス20%でも、運用方針として説明がつけば許される。個人投資家は、自分自身が評価者なので、マイナス20%は精神的に許されない。多くの個人は耐えられず、底値で投げる。これが、リーマンの時に自分が何度もやらかしたパターンだ。

機関は時間を味方にできる。個人は時間に追い詰められる。同じ含み損でも、構造的に意味が違う。だから、相場の底で「個人投資家がついに投げ売りした」というニュースが出る頃に、機関は買い場として動いている。タイミングの差ではなく、時間との関係性の差なのだ。

③ もう一つ、本質的に重要な構造がある

機関投資家の運用が成立するためには、買いたい時に売ってくれる誰か、売りたい時に買ってくれる誰か——「反対側の取引主体」が、市場のどこかにいる必要がある。この役回りを誰が担っているのか、という構造の話だ。

立ち入って書くと、固定トップにしては少し重い話になるので、ここでは指摘するに留めておく。気になる人は、シリーズ②「機関投資家から見ると、個人投資家は『出口戦略の受け皿』に見える」で書いている。

だから、next-fireを書いている

新NISAが始まって、初めて株式市場に足を踏み入れた人が大量に増えた。これ自体は悪いことではない、と思う。長期で資産を形成しないと、この国の老後は厳しい。

ただ、その人たちのほとんどは、自分がどのテリトリーに入ったのかを知らされていない。証券会社のCMも、X(旧Twitter)の株クラインフルエンサーも、「やればプラスになる」「長期で持てば報われる」しか言わない。なぜそうなるかも、誰がその裏で何を準備しているかも、ほぼ語られない。

2008年の自分が、まさにそうだった。準備した気で、何も準備できていなかった。だから半分溶けた。

next-fireで書いているのは、結局のところ、18年前の自分が読みたかった記事だ。誰が、どんな構造の中で、何を準備しているのか。個人が知らないまま不利な側に立たされている仕組みは何か。報道や運用業界が踏み込まないグレーゾーンには、何があるのか。

綺麗な投資論ではない。ポジティブな話ばかりでもない。読んでいて気分の良くない記事もたぶんある。それでも、知っておいた方が、たぶん負けない。少なくとも、自分がやらかしたような半減を、誰かが回避する材料にはなるかもしれない。

なお@HAVE MARCYの視点

リーマンで48%溶かした時、自分は「相場が悪かった」と思っていた。違った。負けたのは、自分が機関の景色を知らないまま、機関のテリトリーで殴り合っていたからだ。武器が違いすぎる場所で殴り合えば、技術や努力の差じゃなく、装備の差で終わる。

このブログは、当時の自分にもう一度配るためのメモのようなものだ。読まなくてもいい。ただ、相場に張り付いて10年経っても景色が変わらない時には、ここに戻ってきてほしい。たぶん、何かのヒントにはなるはず。

市場構造・機関投資家シリーズ|全6本

本記事は筆者の個人的な体験と所感に基づく構造的観察であり、特定の機関・銘柄・運用商品を断定的に評価するものではありません。投資判断は自己責任でお願いします。

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