かつて語った「反省」と「結束」は、どこへ消えたのか

コラム・読み物

石破茂氏が自民党総裁に選ばれた2024年9月27日、決選投票を前に党本部で国会議員らを前にして行った演説を、今改めて思い起こす必要がある。

その日、彼はこう切り出した。

「私は至らぬ者だ。議員生活38年になる。多くの足らざるところがあり、多くの人々の気持ちを傷つけ、いろいろ嫌な思いをした人が多かったかと思う。自らの至らぬ点を心からおわび申し上げる」

38年にわたる政治家人生を振り返り、過去に多くの同志や関係者の気持ちを傷つけたことを、公の場で率直に認めた。批判的な言動で周囲を不快にさせたことへの、明確なお詫びだった。総裁の座を目前にして、自らの至らなさを認める姿勢は、少なくともその瞬間においては、謙虚さの表れとして受け止められた。

さらに彼は続けた。

「この総裁選を通じ、多くのことを学んだ。ともに戦った多くの候補者に、政治家としての生き様も、多くの教えももらった。総裁選が終わった後は、心を一つにして、日本のため、自民党のため、ともに手を携えて全身全霊を尽くしたいと思っている」

対立を乗り越えた後の「心を一つに」する決意。選挙という競争の場で得た学びを、党の結束と国のための行動につなげると宣言したのだ。そして最後にこう締めくくった。

「一人残らず同志がきたる国政選挙で議席を得ることができるように、日本国のために全身全霊を尽くしていく」

ここには、党の仲間を守り、次の政権や次の選挙を見据えた配慮が感じられる。国民を信じ、逃げることなく正面から語る自民党を作る——そんな理想を掲げたはずだった。

しかし、時が流れ、今その言葉はどこか遠いものに聞こえる。

歴代の総理経験者を振り返れば、安倍晋三氏が菅義偉氏を、菅氏が岸田文雄氏を、岸田氏が石破氏を、表立って強く非難するような場面はほとんど見られなかった。少なくとも公の場では、後任への配慮や政権の安定、党の一体感を優先する姿勢が目立った。それだけに、石破氏が現在、高市早苗総理に対して繰り返している批判的な言動は、強い違和感を与える。

かつて自らが「心を一つに」と呼びかけた人間が、今は「後ろから鉄砲を撃つ」ような印象を周囲に与えている。正しい指摘があるのなら、それ自体を全否定する必要はない。政策の議論や建設的な意見表明は、民主主義において不可欠だ。だが、伝え方、タイミング、そして何より「総理経験者」という立場を踏まえた配慮は、別の問題だ。

総裁選の場で学んだはずの「謙虚さ」や「結束の大切さ」は、今、どこに置かれているのだろうか。自身がお詫びした「至らぬ点」を、再び繰り返していないだろうか。言葉は残る。そして、その言葉を自らが忘れ、行動で裏切るとき、信頼は急速に失われていく。

政治家として、総理として、そして一人の人間として——かつて壇上で語った「反省」と「結束」の言葉を、今こそ自らに厳しく問い直すべき時ではないか。

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