ふと思うことがある。
動物でも植物でも、人間に「気に入られる」ように進化したものほど、数を増やしてきた。
甘い果実は選ばれ、米や小麦は世界中で育てられ、豚や牛は「よりおいしく」を求められ続けてきた。
人間に好かれることが、その種にとっての繁栄だった。
でも、その繁栄は食べられることと引き換えだった。
もし牛に感情があるなら、自分がおいしくなるために生まれてきたとは思いたくないだろう。
もし豚が未来を想像できるなら、命の終着点が食卓だと知って、何を感じるのだろう。
進化とは、生き残るための仕組みだと教わった。
けれど家畜を見ていると、生き残っているのは個体ではない。
種だけが未来へ残っていく。
一頭は死んでも、また新しい命が生まれる。
命は途切れているのに、命の流れだけは続いていく。
その姿は、不思議なくらい人間にも似ている。
人間もまた、子どもの頃から「成長しなさい」と言われる。
勉強しなさい。
働きなさい。
役に立つ人になりなさい。
社会から必要とされる人間になりなさい。
でも、ときどき考える。
人間の成長とは、いったい何なのだろう。
能力を身につけることだろうか。
収入を増やすことだろうか。
誰かから評価されることだろうか。
もしそうなら、それは家畜がおいしく改良されていくことと、どこが違うのだろう。
社会に必要とされるほど価値がある。
役に立つほど評価される。
それは人間にとっての「おいしくなる」ということではないのか。
もちろん、人間は牛や豚とは違う。
自分で生き方を選べる。
立ち止まることも、逆らうこともできる。
だからこそ、人間の成長とは、役に立つ能力を増やすことではなく、「自分は何のために生きるのか」を問い続けられることなのかもしれない。
進化は種を未来へつなぐ。
成長は、自分の人生に意味を見つけようとする。
その違いだけが、人間に残された自由なのではないか。
スーパーで牛肉を見かけるたび、そんなことを考える。
この牛は、おいしくなることで種を残した。
では私は、何を残すために成長しようとしているのだろう。
その問いだけは、誰も代わりに答えてはくれない。
