夜明けの前に
午前三時。東京証券取引所の電算室に明かりはない。
だが数字は眠らない。
板垣修二は煙草に火をつけた。銘柄コード285A。画面の中で数字が点滅している。売り板が厚い。異様に厚い。
おかしい。
十七年、この仕事をしている。肌で分かる。何かが壊れ始めている。
― ― ―
発端はソウルだった。
サムスン電子が深夜に臨時会見を開いた。NANDの価格を三十パーセント引き下げる。在庫が積み上がっている。需要の踊り場が来た。そう言った。
市場は最初、笑った。
またサムスンの揺さぶりだ。そう思った。思いたかった。
だが数字は嘘をつかない。
― ― ―
夜明け前、シンガポールのファンドマネージャーが動いた。
キオクシアのショートポジションを積み上げた。二十億ドル。静かに、音もなく。
夜が明けた。
東京市場が開いた瞬間、板が消えた。
― ― ―
板垣は画面を見ていた。
寄り付き。前日比マイナス十二パーセント。
個人投資家の買い注文が入ってくる。押し目だ。チャンスだ。掲示板がざわつく。
馬鹿が。
板垣は思った。口には出さなかった。
これは押し目じゃない。崩壊の始まりだ。
― ― ―
昼過ぎに第二報が来た。
マイクロンが生産拡大を発表した。供給が増える。価格はさらに下がる。
キオクシアの午後の板は、もう誰も守っていなかった。
マイナス二十三パーセント。
引け。
― ― ―
三日後、決算が出た。
Q4。販売単価の下落。在庫評価損。営業利益の下方修正。
数字は正直だった。
残酷なほど正直だった。
― ― ―
掲示板に書き込みが溢れた。
「信じてたのに」
「なんで」
「もう終わりだ」
「なんで」
「もう終わりだ」
板垣はそれを読まなかった。
読む必要がなかった。
知っていたから。
メモリは夢を売らない。
サイクルを売る。
サイクルは必ず、終わる。
― ― ―
午前三時。
また煙草に火をつけた。
東の空が、まだ暗い。
── 了 ──
📝 作者注
これはフィクションです。ただし、描かれたシナリオの構造——サムスンの価格引き下げ、機関投資家のショート、個人の「押し目買い」、そして決算での下方修正——は、過去のメモリサイクル崩壊で実際に起きたことの組み合わせです。キオクシアが「良い会社か悪い会社か」は本質ではない。サイクルのどこにいるかを読めるか、それだけが問題です。
これはフィクションです。ただし、描かれたシナリオの構造——サムスンの価格引き下げ、機関投資家のショート、個人の「押し目買い」、そして決算での下方修正——は、過去のメモリサイクル崩壊で実際に起きたことの組み合わせです。キオクシアが「良い会社か悪い会社か」は本質ではない。サイクルのどこにいるかを読めるか、それだけが問題です。



コメント