最近、中国が国連憲章の「旧敵国条項」まで持ち出して日本を牽制する場面が増えている。これだけ見ると、まるで中国が昔からずっと日本を「敵」として扱ってきたように錯覚しそうになる。でも歴史を追うと、実はそうではない。むしろ1970年代から80年代前半にかけて、日中関係はいまよりずっと「友好」を前面に出していた時期がある。
日本から学びたかった中国
1972年に日中国交正常化、1978年には日中平和友好条約が結ばれ、同じ年に鄧小平が来日している。鄧小平は新幹線に乗り、日本企業の工場も視察した。当時の中国にとって日本は、過去に戦った相手であると同時に、これから近代化するために学ぶべき相手でもあった。戦争の記憶がなくなったわけではないが、それを外交の中心に据えるより経済発展と関係改善が優先されていた、という時期がたしかにあった。
この空気が少しずつ変わっていく大きな節目が、1989年の天安門事件とその後の冷戦終結だった。中国共産党にとって、共産主義そのものだけで国民をまとめることが難しくなっていく。1990年代に入ると愛国主義教育が強化され、抗日戦争や「外国から侵略された中国」という歴史が、以前より強く語られるようになった。
1998年、江沢民訪日という分岐点
江沢民は中国国家主席として初めて国賓として来日した。11月26日に発表された日中共同宣言では「平和と発展のための友好協力パートナーシップ」を構築すると確認しており、文書だけ読めば内容はかなり前向きだった。ホットラインの整備、経済協力の拡大、人的交流の拡充。21世紀に向けた協力路線を打ち出したものだったはずだ。
ところが、訪問の空気を大きく変えたのが歴史認識だった。そのわずか1か月半前、1998年10月に小渕恵三首相と韓国の金大中大統領が日韓共同宣言を出し、小渕首相は植民地支配について「痛切な反省と心からのお詫び」を表明している。中国側にも当然「韓国との共同文書には『お詫び』が入った。では中国にはどうするのか」という意識が働いた。日本政府の記者会見でも訪日前から「中国にも直接の謝罪をするのか」という質問が出ていたという記録が残っている。最終的な日中共同宣言では、日本側は1972年の日中共同声明と1995年の村山談話を踏まえて過去を直視する姿勢を確認したものの、日韓共同宣言のような「心からのお詫び」という文言は入らなかった。
江沢民は滞在中、歴史認識を繰り返し強調した。中国外務省は後に、この訪日で中国の歴史問題に対する基本的立場を体系的に示したと説明している。一方、日本側から見た景色はかなり違った。1972年の国交正常化で中国は戦争賠償請求を放棄し、その後日本は円借款をはじめとするODAを通じて中国のインフラ整備や近代化を支援してきた。村山談話も出している。それなのに国賓として来た国家主席から、また歴史問題を強く突きつけられる。「いつまで謝罪を求められるのか」という感情が、日本社会のどこかに残った。1999年版の外交青書にも、江沢民訪日時に「過去の歴史に対する認識」が改めて大きな注目を集めたことが記録されている。
正直ここでもう一つ気になるのが、江沢民という人物自身の背景だ。彼は学生時代、日本占領下の上海で日本語学習を強いられた経験があり、後年「日本への強い反感のせいでまじめに勉強できなかった」と語っている。1998年10月、台湾側との会談では「平均的な中国人は日本を痛恨している」「私も日本人を痛恨している」とかなり率直に感情を吐露したという記録も残っている。国家のトップ個人の対日感情と、党としての歴史教育強化という国内政策が、ちょうど同じ時期に重なっていたことになる。制度と個人、どちらの要因が大きかったのかは正直分からない。おそらく両方だ。
「友好」から「安全保障」へ
2000年に朱鎔基首相が訪日すると、江沢民訪日時に決めた首脳交流や政府間ホットライン、経済協力は実際に進められている。だから1998年だけで日中友好が完全に終わった、と見るのも少し違う。ただ、あの訪日は象徴的な転換点だった。1978年の鄧小平訪日には「日本から学びたい中国」の姿が強く見えた。20年後の1998年、江沢民訪日では「日本は過去を忘れてはならない」という中国の姿の方が強く印象に残った。
この20年間で中国の経済は成長し、天安門事件があり、冷戦が終わり、共産主義イデオロギーの求心力は下がり、愛国主義教育と抗日戦争の記憶が強調されるようになった。そこへ日本側の靖国参拝や教科書問題が重なっていく。さらに2000年代には小泉首相の靖国参拝、2010年には尖閣沖の中国漁船衝突事件、2012年には日本政府による尖閣諸島3島の国有化と続き、日中関係は歴史認識の対立から、領土・軍事・台湾・米中対立まで絡む安全保障問題へと変わっていった。
だから、いまの中国が旧敵国条項まで持ち出す流れを見るなら、1972年からいきなりそこへ飛んだわけではない。1970〜80年代の友好期があり、1989年以降に中国国内のナショナリズムが強まり、1998年の江沢民訪日で歴史問題が日本社会にも強く意識され、2000年代以降に双方の不信感が積み重なり、2010年代から安全保障対立まで加わった。一直線というより、いくつもの国内事情が重なって今の形になった、という方が実態に近い気がする。
